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小林秀雄の大切な言葉の一つに「自 問 自 答」があり、 中 江 藤 樹 を 知る事が、重 要 であり、先ず独 学 して、書 物 は、熟 読 玩 味 する事の 大 切!である事と 眼 光 紙 背に徹して本を読む事の大事である事を、篤く語ったのであり、物を書く時には、 推 敲 に 推 敲 重ねる事少なくとも、三度以上しなければならないと、強く語ったのである此処で、私のこの質疑について、感想を記したいと思うのです。先ず質問者の態度が、失礼なものであり、小林秀雄に対する姿勢が出来ていないと思うのです。質問をする前に、考えが深く為されたとは思えないのです。はっきり言うならば、何と浅薄な思考ではないかと思うのです。小林秀雄のこれに対する姿勢が余りに、謙虚で真っ当なものである事を思うのです。私は、力の限りを尽くして、学生諸君に対して、懇切丁寧に語っている事を知ったのであります。恐らく後年、自分達のこの有様を振り帰ってみるならば、赤面この上なしなのではないかと思うのです。小林秀雄の講演を聞き、考えを深めることが、出来たなら、今の現代社会状況も、この様な不様な姿になっていなかったのではないかと、残念已むかたなしなのです。擱 筆
わからない事があったら、もっと詳しく話してご覧よ。一流の優しさが、作品にも終始一貫して表れている。虚心に、分からない文言は調べ乍ら読んだ若い日。芹沢光治良の人間の運命を読破したあとだったので、分かりやすく読めたのは、推敲を重ねたこの優しさだったのかもしれません。
小林が強調しているのは、自問自答しろ、ということではないでしょか。
自問自答する様に対話が成立するなんてことは、滅多にあるものではなく、仕方なく独りで自問自答する。その様な環境は、同時代に生きて、互いに独学してきたごく稀少な人達だけの場所である。物の哀れについては読んでいないので分からないが、熟読すると言うことは、時代を隔てた先人達と、書物を通じて語り合うにも等しい様なものか・・・。私はその様な読書が好きであり、平易な書物は嫌いである。だから小林が好きなのだと思う。
これ最後の質問の人が 仲いいもの同士でしゃべってたら もののあはれ が表れてくるのではないか? みたいな質問に 違う と小林先生いったが 違う事もないのではないかと思ってしまった。もっかいきこ・・・
ここでは、小林は質問の意図を取り違えているように聞こえますね。質問者は、対話という表現なり思考なりの形式と、宣長的な「もののあはれ」(いわば事物や出来事の自分にとっての意義、重要性)の経験とのあいだに何らかの独自の関係があるのではないか、という質問をしてるように思います。が、小林の返答はあくまでトピックの一つとして「もののあはれ」について対話する場合の話をしていますね。小林自身も、やりとりに少し齟齬を感じているように聞こえます。
小林秀雄の大切な言葉の一つに「自 問 自 答」があり、 中 江 藤 樹 を 知る事が、重 要 であり、先ず独 学 して、書 物 は、熟 読 玩 味 する事の 大 切!である事と 眼 光 紙 背に徹して本を読む事の大事である事を、篤く語ったのであり、物を書く時には、 推 敲 に 推 敲 重ねる事少なくとも、三度以上しなければならないと、強く語ったのである
此処で、私のこの質疑について、感想を記したいと思うのです。先ず質問者の態度が、失礼なものであり、小林秀雄に対する姿勢が出来ていないと思うのです。
質問をする前に、考えが深く為されたとは思えないのです。はっきり言うならば、何と浅薄な思考ではないかと思うのです。小林秀雄のこれに対する姿勢が余りに、謙虚で真っ当なものである事を思うのです。私は、力の限りを尽くして、学生諸君に対して、懇切丁寧に語っている事を知ったのであります。恐らく後年、自分達のこの有様を振り帰ってみるならば、赤面この上なしなのではないかと思うのです。小林秀雄の講演を聞き、考えを深めることが、出来たなら、今の現代社会状況も、この様な不様な姿になっていなかったのではないかと、残念已むかたなしなのです。
擱 筆
わからない事があったら、もっと詳しく話してご覧よ。一流の優しさが、作品にも終始一貫して表れている。虚心に、分からない文言は調べ乍ら読んだ若い日。芹沢光治良の人間の運命を読破したあとだったので、分かりやすく読めたのは、推敲を重ねたこの優しさだったのかもしれません。
小林が強調しているのは、自問自答しろ、ということではないでしょか。
自問自答する様に対話が成立するなんてことは、滅多にあるものではなく、仕方なく独りで自問自答する。その様な環境は、同時代に生きて、互いに独学してきたごく稀少な人達だけの場所である。物の哀れについては読んでいないので分からないが、熟読すると言うことは、時代を隔てた先人達と、書物を通じて語り合うにも等しい様なものか・・・。私はその様な読書が好きであり、平易な書物は嫌いである。だから小林が好きなのだと思う。
これ最後の質問の人が 仲いいもの同士でしゃべってたら もののあはれ が表れてくるのではないか? みたいな質問に 違う と小林先生いったが 違う事もないのではないかと思ってしまった。もっかいきこ・・・
ここでは、小林は質問の意図を取り違えているように聞こえますね。質問者は、対話という表現なり思考なりの形式と、宣長的な「もののあはれ」(いわば事物や出来事の自分にとっての意義、重要性)の経験とのあいだに何らかの独自の関係があるのではないか、という質問をしてるように思います。が、小林の返答はあくまでトピックの一つとして「もののあはれ」について対話する場合の話をしていますね。小林自身も、やりとりに少し齟齬を感じているように聞こえます。